今年30女の雑事

誰かに直接いうまでもない戯言をたらたら綴る日記

30歳世代の中高生のホームページブーム 2

 

 

さて、前回中高生の時のクラスカースト上位のクラスメイトが、ホームページ(通称ホムペ)を作るのが流行っていたことを書いたが、私側の陰キャは何をしていたのかについて書くこととする。

 

 

 ↓前回の記事

bonobonosimattyao.hatenablog.com

 

 

 

ある程度ホムペ文化が広まり、陽キャは色々なグループ単位でホムペを作っていった。

仲の良いクラスメイト同士、同じ部活動メンバー同士、付き合っていたカップル同士、などなど。

 

 

 

 

今思うと、個人でホムペを作る者は一切いなかった。

あくまで中高生のホムペ文化は、グループ意識を高めるものの象徴と化していたと思う。

だから圧倒的に女子グループが積極的に作っていた。

女子は本能的に所属意識が強い生き物なのだ。これについては生物学として立証されている件らしく、とても頷ける。

 

 

だが例外のケースもあった。

 

私の高校の男子野球部は、在学当時は県大会優勝さえできないレベルだったのだが、昔は甲子園優勝も冗談抜きに狙えるレベルだったらしく未だに地元住民からは野球部の期待が厚かった。

 

そのせいか野球部の校内カーストは非常に高く、野球部であることに自信を持っている部員が多かった。クラス内では目立つ存在で発言権が強かった。休み時間には廊下で野球部員が集まって大騒ぎしながらたむろしていた。

 

またチームプレイの競技であることも手伝って所属意識が高かった結果、珍しく男子でありながら男子野球部のホムペを作っていた。

 

 

 

しかし同じグループ同士でホムペを作っても、時折軋轢が生じることがある。

グループ内で不仲になったりすると、突然メンバーの1人の情報が消失したりホムペ自体が姿を消すことも少なくなかった。

 

ホムペを観測している部外者はこれらの変化について、同じ部外者たちと世間話のようなテンションで喜々として話題のタネにするのだった。

 

 

 

 

次第にホムペの中でもメンバーが記す日記に比重が置かれ始めていく。

それは自然なことだと思う。ホムペ自体は毎日チェックしても中々変化が無く見ごたえが少ないが、日記に関してはマメな人は毎日更新してくれる。

私もホムペよりもメンバーの日記に注目していた。

 

 

 

 

そして陰キャ勢も続々と日記を書くようになっていった。

 

今まではホムペのおまけで日記というコンテンツが成り立っていたが、ホムペを作る行為はあくまで陽キャの特権のようなイメージができあがっており、陰キャにはハードルが高かった。

しかし時が経つにつれ、前回のブログで紹介した前略というプロフィールサービスが大きなコンテンツとなっていたため、自分の前略の下部に表示されるリンク欄に日記のアドレスをリンクさせればホムペを作らずとも日記を書けたのだ。

 

別に前略にわざわざリンクさせなくとも誰にも見られないところでひっそりと日記を書けばいいじゃないか、と思われがちだが、やはりそこは陰の者同士で日記を見せあいたい気持ちがあるのだ。

今こうしてブログを書いている私だって、この文章をインターネットブログではなく自分のキャンパスノートに書けば済むことである。でもなんとなくそれでは寂しい気持ちがあるのだ。

自分語りをしてほんのささいなことでも誰かに共感してもらいたい気持ちが、高校生の私と今の私で変わらずある気持ちなのだろう。

 

 

 

こうしてどのカーストの人間でも手軽に日記を通じて自己主張でき、手軽に周囲の人間の日記を読める環境が整っていった。

日記の流行りのレンタルサービスは、やはり前回紹介したモバイルスペースや、日記のトップページや記事毎に鍵をかけられるのが斬新だったiHotだった。

 

 

 

日記を書くのは楽しかったし、日常のくだらない笑い話を書いて仲の良い子から反応を貰えるのが嬉しかった。

ただ嫌なこともあり、同じグループだがあまり仲の良くない子に伏字で悪口をかかれたこともあった。伏字といってもほぼ私とわかる内容だった。

悪口の内容は全く覚えていないため、どうでもいいようなことだったと思う。

ただ悪口を書かれたという事実は心に結構くるものがあったし今でも覚えている。

誰が悪いとかそんな問題ではなく、私も相手の子もお互い未熟だった、それだけの話だと思う。

相手の子は私だけではなく他の子の悪口も書いていて、それが他の子の逆鱗にふれて一時期煮え湯を飲まされた様でそれ以降悪口は無くなった。

そんなこんなで相手の子には、その件については触れず当たり障りのないよう距離をとりながら音便に付き合って過ごした。

 

 

 

そこから友達の日記を見る目的は、自分の悪口が書かれていないかチェックすることにどんどんすり替わっていった。

日記を開くたびに若干の緊張がはしるようになった。

今思うとこれってまさに、現代の中高生が抱えているSNS問題と何ら変わらないことに気付かされる。人間関係に悩む思春期の子どもはいつの時代にもいるのだ。別に今現代の子どもに限ったことではない。

 

 

 

 

 

日記ブームがだいぶ落ち着いてきた頃、今度は「リアル」と呼ばれるつぶやきサービスが台頭してきた。

現在において大きいSNSサービスとなっているTwitterの前身だ。

リアルの無料レンタルサービスはあまり覚えていないが、日記と同じくiHotが主流だった気がする。

 

 

リアルが流行りはじめた頃は、友達のただ一言のつぶやきを見るだけなので非常につまらなかった。なんでこんな簡素でつまらないサービスをこの子は使い始めたんだ・・?と疑問に思っていた。

 

しかし色々な子が使い始めてきたので流行りにのってみたところ、成程これは良いなあと魅力を理解することができた。

 

日記はもちろん自己主張のためのツールなのだが、前提として人に見てもらうための文章なのだ。「体育やだなあ、面倒くさい」だけでも日記かもしれないが、人に見てもらうには文章が味気ない。

 

だがこれがリアルなら「やだなあ、面倒くさい」だけでつぶやきとして成立する。体育と説明する必要もない。

人に見てもらう文章として意識せず、ただただ自分の心情を吐露するだけ。

とても楽なツールだった。

つぶやきに対するコメント欄もなく簡素だったので余計つぶやきやすかった。

 

 

そんなこんなで日記とリアルの2つを前略にリンクする流れになっていった。

 

 

 

 

 

 

そして時は流れ、高校卒業と共にホムペと前略ブームは終了の兆しを迎えた。

高校の友達との繋がりが薄まれば、それらを繋げていたコンテンツが廃れるのは必然だ。

 

 

 

 

私は高校卒業後に専門学校へ進学したのだが、その時はmixiというSNSが流行っていた。mixiは日記やリアルやゲームなどを友達同士で見せ合ったり共有できるサービスで、正にホムペや前略の中身を全て内包したものとなっていた。

 

 

 

私は中学・高校時代に仲の良かった子数人と専門のクラスメイトとmixiで繋がったが、自分の投稿は最初のみで、あとはただ他人の投稿を見るのみにフェードアウトしていった。

 

その姿勢はそこから現在まで続いている。

 

現在登録しているSNSTwitterのみだが、もはやTwitterはリアル友人は一切登録していないし見てもいない。フォローしているのは私と一切面識のない、ネット上で活動している人のみだ。

結局友人と繋がってしまうと自分の投稿に対してのコメント数が気になったり、友人の近況をみて自分を悪い意味で比較してしまったりと、感情が揺さぶられるのに疲れてしまったからだ。

 

 

今はたまに会う友人から近況を聞いて、それだけで満足している。心も穏やかになった。

SNS断ちはとても勇気がいると思うが、疲れている人にはぜひお勧めしたい。

 

 

 

SNSは大きく形を変えていて、コメント欄だけでなくイイネボタンが登場し、瞬く間にイイネボタンはメジャーなツールとなった。

友人の投稿にイイネを押すだけで、言葉を選びながらコメントをする手間が無くなったのだ。

Twitterはフォローしなくともリストに入れるだけでフォロー外の人のつぶやきを見ることができる。

自分や相手の投稿も選んで見えないようにすることもできる。

 

こうやって扱い方を工夫していけば、SNSを絶たなくとも楽しくSNSと付き合っていけるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

懐かしむ気持ちでホムペブームの流れについて書いたが、紹介したサービスを改めて調べたらここ数年以内にほぼ終了していて、なんともいえない気持ちになった。

モバイルスペースはなんと今年の9月に終了していたようで、その情報を知らずにこの記事を書いたのがもちろん偶然なのだが運命的なものを感じてしまった。

 

mixiはまだまだ頑張っているようで、一部に上場しているようだ。すごい。

身内が先日仕事でmixiの本社に行ったと話していて、まだmixiってあるんだ・・と思ってしまったことを謝りたいと思う。

 

いつか年月が経った頃に、TwitterInstagramfacebookもこうやって懐かしむ対象になるのだろう。