今年30女の雑事

誰かに直接いうまでもない戯言をたらたら綴る日記

30歳世代の中高生のホームページブーム

このブログでの投稿は初めてだ。

 

高校生の頃はブログをひっそりとやり、社会人1年目にもペットに関するブログをやはりひっそりとやったが、昔から飽き性なのですぐに続かず放置する始末だった。

 

今現在そのブログ達は存在しているのかどうか、今や利用していたブログサービスさえ覚えていない始末なので確かめる術は無い。

確かめられたとしても自分の昔の投稿など自慰行為の塊の様なものなので、読んだ瞬間恥ずかしい感情が火山のように噴き出して爆発するような感覚になると思う。なので見たくもない。

 

 

 

なぜ数あるブログサービスの中からはてなブログを選んだかというと、たまに読むおもしろいブログがはてなブログに多く、しかもデザインがとてもシンプルで読みやすかったのが一つ。

 

もう一つが、偏見なのだがAmebafc2ブログのデザインはTHE昔流行ったブログそのもの というデザインになっている印象があるのだ。

左右にカレンダーや投稿記事のタイトルがずらっとならんでおり、中央に最新の記事内容が記載されているあのメジャーなブログデザイン。

そしてとても情報量が多く感じるあのブログデザイン。

ブログとして使い勝手の良いデザインなのだろうが、なぜかこそばゆい気持ちにさせられるのだ。なので使いたくない。

これは恐らく冒頭で述べた自分の昔のブログを見ているかのような気持ちになっているのだろう。

例えて言うなら、中学生の頃に意味もなくジーパンのベルト紐に鎖をつけるファッションが流行っていた。当時はかっこよく見えたけれど、今中学生がつけているのを目撃したら恐らく恥ずかしい気持ちになるだろう。そんな感じ。

ブログに関しては今現在も精力的に使用している方が多くいるのだから、私のこの感情はだいぶ失礼だと思う。

 

 

 

思えばインターネットの流行りも数年程度ですぐ様変わりするものだ。

私の自宅にインターネットが導入されたのが中学2年の14歳の時で、現在30歳目前なのでおおよそ15年経った。きっととんでもなく様変わりしたのであろう。

 

 

 

生まれて初めてインターネットに触れたのはローマ字覚えたての小学校4年生の時で、授業の一環で小学校の備品のパソコンでyahoo検索をかけた時だ。

当時何を入力しても結果を教えてくれる機械の箱が斬新すぎて、何を調べたらいいものかすごく戸惑った気持ちを今でも覚えている。

というかyahooのトップページの情報量が多すぎて、まずそれを眺めるだけで満足していた。東京の繁華街をみているような印象だった。

隣の同級生はジャニーズの公式サイトを見ていたが私はジャニーズに毛ほどの関心も無かったため、当時愛読していた少女漫画雑誌りぼんの公式サイトを見た。

しかしそれ以外に調べたいものが見つからず、そこで興味は終了した。

 

 

 

そして中学2年の夏、我が家に待望のノートパソコンとインターネットが導入される。

はじめは小学生時代同様、何を調べたらいいのかわからずあまり触らなかった。

だが転機は訪れる。

当時私はいとこから借りた牧場物語というゲームにドはまりしており、ゲーム内キャラの攻略情報をネットで調べたのだ。

すぐに攻略掲示板は見つかり、何度もそのサイトにはお世話になった。

ある日いつものように攻略掲示板を覗くと、ふとお絵かき掲示板が目についた。

なんで攻略サイトなのにお絵かき掲示板が・・?と疑問に感じたが、当時はサイトにお絵かき掲示板が付属しているのが定番だった。

これもネットの流行りだったのだろう。

そこのお絵かき掲示板牧場物語のキャライラストを描く場で、元々絵を描くのが好きだった私はとてつもなくハマった。毎日毎日常在していた。

パソコンのボタン一つで間違えたところがすぐ元通りになる操作の快適さや、自分のイラストに他ユーザーからコメントをもらえる嬉しさ、正にパソコン本体とネットサービス、2つの魅力にとりつかれていた。

掲示板に暴言を吐く荒らしが当時から存在していたが、荒らしに抗議するコメントを感情的に書きなぐったりした。すごく恥ずかしい。

一気に私とインターネットの距離を縮めたのがこの出来事であった。

 

 

 

そして当時中学生友達の間では携帯電話を持っているのがステータスとなっていた。

私は高校生になってからと母親に言われていたので持っていなかったが、携帯で何をするかもわからないままただただ憧れていた。

母親の携帯を借りて、学校で話せばいいような内容の話をメールで友達とやり取りしたりして無駄にウキウキしていた。

センター問い合わせを定期的にしないとメールが届いていなかったり、他キャリアへのメールは画像添付ができなかったりしたが、不便を感じることは無かった。その不便ささえもウキウキに換算されていたような気がする。

 

 

そして次第に友達同士で作る個人ホームページ大時代が到来する。

通称ホムペである。

そこには主にメンバーの日記、BBSと呼ばれる掲示板、アルバムなどが載っているのである。

大体クラスカースト上位の選ばれし人間が作るので、ホムペの注目度は同級生の中では高かったと思う。

もちろん私はカースト最下層の陰キャだったので注目するのみだった。

BBSはホムペ開設時は陽キャ同士で会話が盛り上がっており、キリ番報告も盛んに行われていた。キリ番とは、トップページに来訪者数を示すカウンターが設置されており、それの一の位が0になった時やゾロ目になった時にBBSに必ず数字を書き込まなければいけない謎の強制ルールである。

 

盛り上がりをみせていたホムペも盛者必衰というもので、時間の経過と共にカキコミが途絶えていきキリ番報告も無くなり物悲しい雰囲気を漂わせていた。

一日数百アクセスあったホムペが久々に訪れてみたら自分を含めて2アクセスでギョッとし、しかも自分がキリ番だったのだ。

BBSを覗いてみると業者が書き込んだであろういかがわしいサイトの宣伝文が乱立しており、キリ番どころか普通の会話など一切書き込まれていなかった。

私はそっと携帯を閉じ、二度とそのサイトを見ることは無かった。

 

 

 

そして高校入学と共に、待望の自分の携帯電話を買ってもらう。

嬉しくて嬉しくて、携帯機種のラインナップを全て把握して吟味して選んだ。

なのでクラスの同級生の携帯を見て、何世代目の携帯かすぐわかっていた。

今現在は全く携帯に関心が無いのに・・・

 

ホムペブームは高校時代もまだ継続しており、やはり陽キャはすぐ群れを成して共同のホムペを作っていた。

当時はモバイルスペースやエムペ、pepsなどの無料ホームページ作成サービスが流行っていた。

その中でもモバイルスペースが周りのクラスメイトの間で浸透していたのだが、このサービスの凄いところがHTMLと呼ばれる実際のプログラミングのようなコードを使って自由自在に外観をカスタマイズできる仕様だった。

他のサービスは型にはまったテンプレートを選ぶのみだったので、モバイルスペースはとても自由性が高くしかもガラケーで作れるのが今でも凄かったなあと思う。

しかし意味のわからない文字の羅列を組まなければいけないので、モバイルスペースは生半可な興味では手が出せないサービスでもあった。

さながら一見さんお断りのうまい料理屋のようである。

 

私の学科はパソコンを多く扱う学科だったのでプログラミングの授業ももちろんあった。

ホムペ制作でHTMLの扱いに長けたギャルの同級生が、先生の解説よりも先にプログラミングを手早く組む光景をよく見ていたのを覚えている。

 

 

また、ホムペ制作に欠かせないのが前略プロフィール、通称 前略であった。

ホムペのプロフィール欄に前略をリンクさせ、また同時に前略の最後のリンク欄にホムペをリンクしていた。

私が高校生の時の前略は、背景色や文字色を自分好みにカスタマイズすることができず、何個かあるテンプレートの組み合わせの色しか選べなかった。

当時はなぜ前略が流行っているのかわからなかったが、ほぼ全員と言っていい規模で前略は利用されていた。

前略人気の火付け理由はわからないものの、火がついて広まった以降はほぼ前略しか見かけなかったので大多数は前略以外のサービスを知らなかったのでないだろうか。

 

 

ギャルは前略のプロフィール画像に自分の盛れたプリクラ画像をガンガン貼っていた。

彼氏とキスしたプリクラもなんのそのだった。チュープリとか呼んでいた。

挙句の果てには彼氏とのお揃いのメールアドレスを載せる始末。

メールアドレスや前略の誕生日欄に、付き合った日付が載せられているのもテンプレである。

SNSに個人情報を載せると問題が云々~などと昨今よく言われるが、ギャルが頭からっぽでネットに個人情報を載せるなど昔からの常識なのだ。

頭からっぽじゃないギャルもいるのだろうが、ギャルじゃない人と比べたらギャルの方がからっぽの割合はきっと高いだろう。だから仕方がない。

 

彼氏とのお揃いのメールアドレスも別れたらすぐ変更するため、メアド変更のメールが来て察することも多かった。お揃いに変更して三日後に別れてまた変更して・・・とかなり頻繁な友達がいて内心ちょっと面白かったのは秘密にしている。

 

 

 

 

 

 

この後陰キャの私もついに前略や初めてのブログに挑戦することになるのだが、これ以上書くとキリが無いし疲れたので、また今度気が向いたら書こうと思う。